環境やマーケットに依存した創作をすることの危うさの話

またまた説教くさい話かもしれないけれど、最近の同人シーンでふと思ったので。
Auramorteの蟻坂(@4risaka)です。ご機嫌いかが。

同人といえば即売会、頒布価格、特設ページなどなどの「様式美」がある。
その様式美はもちろん楽しいし完成度も高く、素晴らしいものだけれど、一方でそのままでいいのかなと思うことがある。

じゃあどうして「そのまま」だとだめなのかなーって話をなんとなくしてみようね。

プラットフォーマーの掌の上で踊る

ここでいうプラットフォームというのは、たとえば以下のようなもの。

  • 即売会
  • ネットショップ
  • twitter

で、掌の上で踊るというのは、「そのプラットフォームを運営する人のルールに依存する」とか「プラットフォームが存続できなくなったら一緒に吹っ飛ぶ」ということ。

つまり仮に即売会がめちゃくちゃになると全く活動できなくなる人たちがいるんじゃないかと思うのね。
かくいう僕も不完全で、たとえばPVをYoutubeに上げているとして、Google様がうちのアカウントをBANしたら即刻そこらへんのコンテンツを扱えなくなっちゃう。

本質と違うところで誰かに支配されっぱなしになるよね。それはよろしくない。

そこで使える対策は、有名なユダヤの格言「卵を一つのカゴに盛るな」だよね。つまり、
同じものを発表するプラットフォームを複数持つということ。たとえば、即売会、ネットショップ(それも色んなサービスを複合)を全部活用すれば、一つくらいダメになってもなんとかなるし、他にやっている人がいなかったら先頭を走れる。

というわけで、なんとなく「即売会一本」は少し考えても良いと思う。90年代じゃないんだから。

マーケターの敷いたレールの上を走る

前節に関連して。

マーケットはパイが限られているので、激戦区になればなるほど、あとから参加した側は表現の本質と異なる部分で色々戦略を考えないといけない。
これをわかっていない以上は、普通にCD作って普通に特設ページ作って普通に頒布しても売れないのは当然だったりする。

ご存知の通り、今即売会は参加サークルが大量にいて、結果的に市場経済を抑えた人が勝ち抜く仕組みになってしまっている。だけど、すでにある程度の勝者が居座っている環境で地道に頑張ることは徒労の方が大きいんじゃないかと思ったりする。かっこよくいうとレッドオーシャン。

たとえるならマルクスが批判した「資本家」と「労働者」の搾取関係みたいだと思うんだけど、どうだろう。
資本家サイドが適切に分配してくれればこの限りではないのだけれど、独裁者ないし搾取する層が居ると腐っていくのは歴史が示して居るよね。

だから、今立たされて居るマーケットにそういう層がいるかどうか観察してみよう。レールの先が錆びているようなら、切り替えは自分の手でやらないといけない気がする。

フォロワーは魚を得られない

もともとある場所というのは安定しているので歩きやすいよね。例えるならコンクリートの道路。ちょうど既存のシーンとかプラットフォームがそれにあたると思う。

だけど、残念ながら市場への参加が遅れるとありつける餌がないのは既存の商売が証明しているし、実際全く注目されない苦しみにあえぐ人は、その意味が感覚的に理解できるんじゃないかと思う。

ビジネスの世界で「ファーストペンギン」という言葉がある。最初に海に飛び込んだペンギンは、ひょっとしたらシャチに喰われて死ぬかもしれないけれど、うまくいけば海にいる魚を総取りできる。
ファーストペンギンによってシャチが不在であることを確認されてから飛び込むのは安全だけど、魚の取り分は減っちゃう。つまり、謎と危険が潜む新規市場に切り込むのはリスクが大きいけどリターンも凄い、という意味だね。

「なんとなく即売会」パターンは、この少ない魚を奪い合う構図になりがちで、それが注目されないことにも繋がるように見える。
大手が積極的にレコメンドしてくれるなら話は別だけど、そんなことはまずありえないので、ピコ手の自分たちにできることのうち手っ取り早いのは「市場レベルで未開拓の場所を探して突撃」なのかもしれない。

大丈夫、シャチに喰われて死ぬわけじゃないし。僕も考えてみるよ。

おわりに

辛気臭い話だけど、インターネットも即売会も情報と人が過多で商才が必要になってきちゃってるので、無視できないと思ったから書き留めてみた。

環境に文句を言っているうちは環境を作る側の掌の上。「環境を利用する」「環境の穴をつく」「環境を創り出す」のいずれかが良さそう。経営学とか経済学とか心理学はつかえるから、個人的には勉強しまくってみるのをおすすめするよ~。

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