あるよね〜、っていう他愛もない話から哲学的な話へ。
Auramorteの蟻坂(@4risaka)です。ご機嫌いかが。
現役でゴスロリな方、いかがお過ごしかなー。あるいは、ゴスじゃないけどなんとなく読んでるよ、っていう人も。
とかく、一般論で奇抜なファッションと言えるゴス/ゴスロリの人というのは多数派から見たら出る杭だし笑い者という常識だかなんだか知らないけどそんなような理解になっている。
故に、ちょうど行ったことのない国をイメージで決めつけるように、よくわからない認識が誤解となってはびこっている。今更訂正しても無駄なので、笑い飛ばすための話をしよう。君らが笑うソレは、紛れもなく強い人間の営みであるということを。
あるある先入観とか誤解、2つ
ひとことで言えば極めて人間らしい振る舞いをした結果、そこにあるということ。
パターン1「不思議ちゃんでしょ?」
たぶん『下妻物語』あたりの影響もあるんだろうけど、ロリータさんというのは不思議ちゃんだと思われているフシがある。
不思議ちゃんというのは、現実に生きているにも関わらず夢想したり妄想の世界に浸って、かつその発想を現実に持ち込んでくる人……のことをいうらしい。「お人形さんになりたい(はぁと)」みたいなの。
あのねぇ本気で言ってるわけ無いじゃないか。というか、ロリータさんというのはむしろ極めて現実を見ているからこそその世界を創り上げていると言えるんじゃないだろうか。
というのは、従来のファッションが流行などの「人からどう見られるか」という外向的な価値観を重視しているのに対し、ロリータというのは人からなんと言われようが主義を貫き通す、言い換えると自分至上の内向的な価値観を象徴しているから。
なるほどそういう意味では不思議ちゃんだと言えるのかもしれないけれど、「外向的な価値観」というものを定義した上でそういった格好や発想をしているならば、これは現実というものをしっかりと見定めた上で相対的に成り立つ価値観であるといえる。
だから、現実をしっかり見ていないとむしろできないはずなんだよね。そして、現実を見た上で自分の世界を創り上げ、有象無象の価値観に埋もれまいとしぶとく生きる生き様!なんというデカダンス。
極めて人間的だよね。はたして「不思議ちゃん」と彼らが定義する、空想上の知性の低い生き物にこれはなしえるだろうか。いやできない。これはリアリズムの相転移なんだよ(よくわかんなくなってきた)。
パターン2「病んでるんでしょ?」
まぁ半分くらい合ってると思うけど実のところみんながみんな病んでるかっていうとそうでもない。
だけど、ゴスをわざわざ選択するということは、それなりに†闇†みたいなのを抱え込んでいるのは確かだと思う。
けれど、その闇を表現に昇華できる強さを身に着けている一点で、普通の病んでる人とは決定的に違う、それがゴスだと思う。
普通に病んでる(?)とね、たとえば承認欲求が過剰になってSNSで娼婦になったり利き手の反対側の手首を切ってエンドルフィンの奴隷になったりするわけだけど、ゴスというのはどういうわけか全部表現欲求に転化するんだよね。
それが結果としてどうなるか。
1. 表現をする(しかも承認ではなく表現が目的)
2. 副作用として承認される(肯定、称賛、共感)
3. 自信がつく
4. 少し前向きになる
5. さらなる表現欲求が湧いてくる
6. それを糧に強く生きられるようになる(でも、心根が暗黒なのは変わらない)
ね、足を踏み入れる動機はどうあれ、どういうわけかニヒルで退廃に振り切った結果逆に生きる意志が出て来るんじゃないかと思うんだ。どうだろう。
もちろんこれはネガティブに振り切ってからアンダーフローしてまた前を向くというひねくれた方法をとっていて、それは悪魔の力を借りるようなものなので、取り憑かれたら承認欲求と自己愛の化け物に変化する諸刃の剣。しかし何者にも代えがたい強力さがあるよね。
だからね、生き辛さに悩んでいるなら、逆説的にむしろゴスになるべきなんだ。道は開ける(急に胡散臭くなってきた)。
おわりに
ゴスであること の意味は常々考えているけれど、意外と人間臭いでしょ?それでも生き様として、存在として「個性」なんて言葉では包含できない強さを持っているのがゴス/ゴスロリ/ロリータ、だと思うんだ。