大芦治『無気力なのにはワケがある』を読んで思ったこととか

ちょっと気づきが合ったのでなんとなく書いてみる。 Auramorteの蟻坂(@4risaka)です。ご機嫌いかが。

この間、大芦治さんの『無気力なのにはワケがある』を読んだよ。

たまたまセールで売ってたのでタイトル買いしただけなんだけど、読んでみたらなるほど、「とにかくやってみるんだ!」という意識高いセリフが必ずしも有効じゃない理由が見えた気がするので、今日はそんな話をしてみるよ。

『無気力なのにはワケがある』の内容

この本は、ひとことで言えば学習性無力感についてしっかり説明した本。ネットで適当に調べた程度ではわからないことが書いてあるよ。

「学習性無力感」の概略と歴史

「学習性無力感」という言葉、聞いたことがあると思う。

罰を与えられたり、酷い目に遭い続けると、別の機会でその酷い目から抜け出せるチャンスが得られても、自ら抜け出そうとしない、行動に出ないで諦めてしまう……という心理効果ね。

で、この本はもっとも古典的な実験から、その半世紀に渡る「学習性無力感」の研究の歴史を、文献を交えながら非常にわかりやすい文体で説明しているよ。

たとえば前半は「学習性無力感」の説明に終止しているのだけれど、途中からうつ病などのメンタルヘルスや、日本人のメランコリー親和型性格の関連に関する考察がなされている。

そして最後に「学習性無力感に陥らないためには?」と題して、これまで知識を得た読者がどう生活していけばよいか、という考え方についても記されている。「無力感」の正体とメカニズム、そして現代的なメンタルの問題との絡みがわかりやすいので、いまいちこういう心理学的な実験がピンと来なかった人も、よく理解できるんじゃないかな。

個人的にすごく良いな、と思ったのは、しっかり「わからないことをわからない」と書いていること。

後半では著者自身がしっかり考察をしていて、この手のよくある本みたいに文献を引用しまくって一言著者がコメントしてオシマイの連続、みたいな荒っぽさが無い時点で素晴らしいんだけど、その考察のうち不透明なところについてはしっかり不明と書いてあるから、変な誘導をされる心配がない。

むしろ、自分なりにどうすれば良いのか考えるきっかけになってくれると思う。特に現代のメンタルヘルス周りは未解明の点が非常に多いので、日本人はメランコリー親和型だからこうだ!という決めつけはそれこそ読者を混乱させちゃうからね。そういうのがないの。

いわゆるセリグマンの実験はちょっと古典的

で、「学習性無力感」を説明するとき、ネットでよく見かけるのはセリグマンの有名な実験。

  • 犬を、「あるタイミングでブザーが鳴ると、体に着けた電極から電気ショックが与えられる」環境に置く(①)
  • 別の実験で、「ブザーが鳴ったら床に電気が流れるが、柵の反対側に移れば電気が流れない」という環境を用意して、犬をそこに置く(②)
  • 対照群として、①の実験を経ずに②の実験をした犬も用意する

このとき、対照群の犬が「ブザーが鳴ったら柵を越えれば電気が来ない」ということを学習して電気ショックを回避するのに対して、①で酷い目にあった犬は、ブザーが鳴っても柵を越えたりせずじっと耐えるという。

この理由は、結論としては「①の実験で、絶対に自分では変えられない不幸を学習してしまったから」で、自分でコントロールできない環境におかれると、それをコントロールする意欲が失われる……つまり、無力感を学習するという心理学的な大発見として知られている。

……のだけれど、どうもこの例だけで説明するとフレームワークが古いらしい(前半と後半で全く違う図を使って無力感のメカニズムを説明している)。
今日の学習性無力感は動物だけではなく発達心理学や教育心理学の観点からも色んな実験がされていて、例えば学習目標と遂行目標の捉え方に深く関係しているとか、自分では何もできないという学習からどうもセロトニンが減少してうつ病になる傾向にあるかもしれないとか、上記の実験を土台にして現代の社会生活に応用できる色んな発見がなされていることを見落としてはならないと思った。

犬の実験だけで「なるほどー」と思うのは簡単だけど、せっかくなのでもっと実践的な知識も入れたいよね。そのへんの話がしっかり書いてあるよ。

思ったこととか

そんな具合に、「学習性無力感」と一言でいっても、今はフレームワークとして様々な応用が進んでいることを知ったので、それに伴って僕が考えていたことに1つ疑いを持たざるを得なくなった話をしよう。

「まずやってみろ!」が困難な理由

意識の高い自己啓発本でもセミナーでも、そういう感じの周りの人でもいいんだけど、まず行動しろ!やれ!って煩いひとがいる。で、僕も鈍亀なりに色々やってみて色々結果出たので、概ね同意する側だったりする。

だけど、大勢の人が出来ない……これはやる気がなかったり怠けているからとか意志が足りないからと思われがちなんだけど、この無力感の観点から考えると、そもそもやろうという発想にならないという選択肢が出てくる。

つまりね、たぶんミレニアル世代の若い人たちは苦労人ばっかりだからわかると思うんだけど、何やってもうまくいかないことを学習しちゃってるので、今更やることに価値を感じないって自動的に考えてしまうんじゃないか、ってこと。

学習性無力感の本質的なところはコントロールできない環境に置かれ続けることにある。だから、教育で親や教師に否定されて、社会でも否定されて、未来には閉塞感しかなくて……なんて酷い目に遭い続けている人が、「自分でも行動すれば人生変えられる!」なんて思う?思うことすらできないよね。この本は、そんな直感を学術の観点から淡々と示唆しているような感じがしたんだ。

うつ病との関連も考察されてるってさっき書いたけど、仮にコントロールできない環境に置かれ続けた結果としてソレがあるとしたら、「行動しろよ!」って説教するのは無知無明も甚だしい発言でしかないと猛省せざるを得ない。

じゃあ、どうしてあげればよいか

かといって他人の意識や環境がよくなることに期待するのは無駄(それこそ「コントロールできない」!)だから、自己肯定感を与えるためにツイッターでは作品を褒めてあげましょ〜みたいなオハナバタケトークをするつもりはないよ。魚を与えても本質的に解決できない。

まず、うまくいった人は「やればできる」ことを知っているし、コントロールできる環境が案外多いことも知っている。 そして、この本にも書いてあるのだけれど、自信は記憶されるので、実は無力感と同等に成功体験も学習される。これが「環境をコントロールしようとする力」になり、絶望を捨ててモチベーションとか生きる意志に繋がるんじゃないかと思う。

ということは、うまくいった人、大丈夫な人……つまりコントロールできることを知っている人が、大丈夫じゃない人を巻き込んで引っ張ってあげる……コントロールできる事実を教えてあげる、のが第一歩かもしれない。少しでもいいから自信がつく体験ができれば、学習性無力感を達成感で上書きできるかもしれない。そんな気がした。

そのためには、「自分はもう大丈夫だ」となった人からTakeではなくGiveする側に回ると、より健全な方向に動いていくように思う。

それはたぶんSNSで「いいね」をバラまくみたいなコストの低いことじゃなくて、プラットフォームを作るとか、創作であれば自分からコラボなどに巻き込んで背中を押すとか、自分から責任を負うことなんじゃないかなーと。「ノブレス・オブリージュ」だよ、かっこいいでしょ。そんな風にして共同体は進歩してきたんだし(?)。

「個」が重視されるといわれているこれからの時代、評価や信頼は間違いなく高い価値を持つ。だから、Giveで信頼を集めることは長い目で見た時に思わぬメリットがあると思うし、Giveしまくる側になって損は無いハズだよ。

おわりに

壮大に結んじゃったけど、自分がGiveする当事者になれるかっていったら、こうして文章を書くくらいしかできないんだよね〜(台無し)。

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