たぶん「単なる一要素でしかない」。
Auramorte(@Auramorte)の中の人、蟻坂だよ。ご機嫌いかが。

前回、作り手目線でちょっと考えてみたんだけど、いまいちおさまりの悪い記事になってしまっている。

作品と作家の人間性は別にすべきなのか問題(作り手目線) – Auramorte

で、再考してみたら「こんな感じかなぁ」というようなものを見つけられた気がするので、ひとまず受け手目線というカタチで紹介してみるよ。

「作品のクオリティと作家の人間性」というパラメータ

まず、この「作品のクオリティと作家の人間性」という話の「そもそも」を考えてみる。

これは受け手目線だと、「総合評価がクオリティと人間性の2つで決定する」と考えられるよね。
クオリティとか人間性の厳密な定義を本当はしなきゃならないんだけど、あえて置いといて話を続けるよ。どうせみんなこだわってないし

つまり、言い換えると「作家の総合評価」というベクトルが、「作品のクオリティ」と「人間性」の2次元で表現できると考えられる。
そこで起こしてみたのがこちらの図。

図1: クオリティと人間性のグラフ

こんな風に、ある作家の評価があったとして、そのパラメータが受け手から見たときこんなふうに2次元で表されて、全ての作家はグラフのどこかにプロットされるよ~っていう意味ね。

……と考えたとき、なんか違和感がないかな。そう、なんで皆そのモノサシで測っちゃってんのっていう点。
作者の個性はもちろん、受け手が作品を見聞きしたときの受け止め方って個人によって差があるよね。それを2次元のベクトルで全部示しちゃうのは多分乱暴だ。

本来の評価

というわけで、もう少し直感に近い方を図で新たに表現してみるよ。

たとえば、ある音楽でも絵でもいいんだけど、それを受け止めたときにどう評価するか。

  • コード進行が良い
  • 色使いが素敵
  • メロディが独特
  • 描写が細かい

いろいろあるよね。ということは、まずこの「作品のクオリティ」とやらも実はもっと細かいところに分解できる。

更に、「人間性」とやらも、「SNSの発言が面白い」とか「歯に衣着せぬ発言」とか、ある人によって気に入らないポイントがある人にとって好きなポイントになるんだよね。

ピンと来ない?『えんとつ街のプペル』のにしのあきひろさんは、ブログで度々炎上するけど、それでもあの人を格好いいと慕う人は居るんだよ。僕も切り込んでいく姿勢それ自体はなかなか痛快で面白いと思ってる。だけど一方でわざわざ露悪的にならなくてもいいのに、と思ったりもする。

という具合に、2次元じゃなくてもっと分解できるという点があるよね。
もっと言うと、人によってはどうでもいいのでパラメータ化するまでもない評価点もあるよね。例えばメロディと歌詞にウェイトを置いてほかはあんまり気にしてない人とか。

つまり、人間性自体を評価点に加えない人がそれなりに居る可能性を否定できないよね。そう、人間性とかいうのも、結局数ある評価点のうちの単なるひとつに過ぎないんじゃないかと思うのね。

ここまでの話を図にまとめるとこんな感じ。下に並んでるグラフは「人間性」「クオリティ」ではないその人その人による評価軸。見た目にわかりやすくする関係でパラメータは2個しかないけど、本当はもっといっぱいあるよね。

図2: 個々人の評価と、図1の2次元グラフへの写像

ね、個々人によって違うモノサシを勝手に無理やり写像するから、情報が失われておかしくなってるんじゃないかな。
だから「クオリティと人間性」という取り扱い自体をそもそも問うべき……そんなふうに見える。
受け手の皆さんのほうが直感的に理解できているはずだよね。「必ずしも人間性が絶対に必要ではない」ってこと。

というわけで、今のところの考えとしては

  • なぜその2次元のパラメータを標準にしようとしているのか
  • 「評価」「人間性」以外にもモノサシは探せばあると思うけど(見た目とか)、何故それを選んだのか

というところをもっと問い質していかないと、テーマ自体が宙に浮いた話で意見だけが空回りする感がある、かな。

これを踏まえて

そんな話を踏まえて、じゃあ人間性とかクオリティとか諸々についてどう考えるのが今のところ良さそうなのかな。

作り手の場合

とりあえずひとつのパラメータでしかないのは確実だと思う。
だから、まわりの受け手のひとたちを眺めたときに、人間性とやらが重視されているかどうかによって考えるウェイトが変わるかも。

具体的には、例えば不倫したら烈火の如く怒るワイドショーの人たちみたいなのが多いようだったら、彼らの考える道徳心に従うことはかなり重要だし、
多少毒吐いてもそれについてこれる人が多いんだったら、少しくらいスレてても多分大丈夫だよね。

それを省みて、こっそり立ち位置を考えてみるのがいいんじゃないかな~。

受け手の場合

これはわざわざあれこれ言うまでもない気がする。直感的に自分が何を以てその作家のファンであるかは理解してるよね。

  • 作品が純粋に好き
  • 雰囲気が好き
  • 発言が好き

これを省みて、「あなたは人間性が非常に重要かと思うかもしれないが、わたしはそうは思わない」という毅然とした態度を持つこと、人の意見に流されずにファンであり続けること、それこそが一番誠実な受け手だと思う。

一般論なんて所詮一般論だからね~。

おわりに

と言いつつ、それこそ作品のレベルとか、犯罪をしない最低限の社会性とかはほとんどの人のモノサシに含まれるんだろうなーっていうのは思うよね。
ここを明らかにして、正規化できそうないい感じのパラメータを特定できたらかっこいいかもしれない。やらないけど。

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